2月28日(月)

未完成vs新世界のボーカルの澤田くんにはじめて会ったのは、ぼくが17歳のとき。会ったっていうか、見た、だ。一方的に。澤田くんと当時デュオを組んでたいまは未完成のベースの強太くんとのふたり組が路上で歌ってるのを。

もう全部書こう。
ぼくは16歳のときに高校をやめて、地元の北海道釧路市から北海道札幌市に、実家を出て引っ越した。同じ北海道でも、釧路と札幌は距離にしたら東京と名古屋くらいあるし、街の栄え方なら井荻と渋谷くらい差があったし、ぼくはほんと、上京するような気持ちだった。
知ってる人が1人もいない街での16歳の一人暮らしはとても刺激的だった。アコースティックギターを持ってアーケード街で歌うことだけがその街に住んでいる理由で、だからこそ不安とか淋しさみたいのはあんまり無かった。いろんなことをよく考えてなかっただけなのかも知れないけれども。

そのアーケード街でぼくは五人の、今でも心底尊敬してる人たちと知り合う。みんなぼくよりふたつ年上の先輩。

村田知哉、富樫洋介、山下研、安田強太、澤田健太郎の五人。出会ってからもう7年くらい経つけれど、ミュージシャンとしてだけじゃなく、いろんなところにひとりひとり、ぼくがとても尊敬して、ずって憧れてる人たち。

その当時はみんなそれぞれにデュオだったりソロだったり、アコースティックギターを持ってそのアーケード街、狸小路で歌っていた。だれが見てもとにかくその五人は仲がよくて、ぼくはいつもその輪に入りたくて、いつも羨ましくて、いつも近くにいたかった。

村田くんと富樫くんは『空蝉日和』ってゆうデュオを経て、いまはそれぞれソロで。研ちゃんはいままさにリリースタイミングの札幌在住バンド『ポリプロピレン』のギターボーカル。澤田くんと強太くんは未完成vs新世界で、いまだにみんな音楽を作って歌ってる。


ぼくは未完成vs新世界の初ライブを見ている。澤田くんがサウンドホールをガムテでふさいだアコギを弾きながら歌ってたんだ。バンドのライブを生でしっかり見たのはそれがはじめてだったと思う。それはとんでもなく衝撃的で、かっこよかった。感化されやすいぼくの憧れとか目標みたいなの全部が、路上での弾き語りよりもバンドに、一気に向いた。

ぼくはそのライブの翌日から、ヒッチハイクで日本を一周する旅に出た。ライブに
感化されたからじゃないよ、たまたま出発の前日が未完成の初ライブだっただけ。それが18歳の夏。

四ヶ月弱かけてぼくは日本の全都道府県をまわった。ヒッチハイクと野宿と路上で歌うことで。もちろん沖縄も行ったよ。鹿児島から沖縄まではフェリーで24時間かかった。360度の真っ暗闇の星空ってあれが最初で最後だ。

でもその旅をしながらぼくの頭の中はずっと、札幌を出発する前日に見た未完成vs新世界のライブの衝撃でいっぱいだった。
仙台駅前で、テレビにでたことで集まったたくさんの人の前で歌ってても、軽井沢の虫だらけの森みたいなとこでヒッチハイクしてても、広島でできた何人かの友達とみんなで宮島を観光してても、山口の大きな水族館でフグ食べてても、長崎の路上でフェリー代を稼ぐ為に歌ってても、とにかく日本を一周して札幌に戻ったらバンドを作ろう、なんて、ありきたりだけどそればっかり考えてた。音楽をたくさん聴こう。メンバーを探そう。エレキギターを買おう。あの五人みたいに、ぼくもかっこいいミュージシャンになりたかった。ぼくはそのころ、自分の音楽に自信がなかった。


札幌に戻ってから八ヶ月かけてぼくはバンドメンバーを探した。奈津子含めて四人集めて、ひとつバンドを作った。でもそのバンドは一年半活動して、解散した。

そのバンドを澤田くんは、一度も良く言わなかった。褒めなかった。いいね、ともゆわなかった。
でもバンドを組む前とは違って、ぼくらはふたりで遊んだりするようになってた。よくご飯を作ってあげた。澤田くんと村田くんはすごくおいしそうにぼくの作った料理を食べてくれるから、作りがいあったなあ。というより、その頃はそのふたりくらいしか友達って呼べるひとがいなかっただけだ。

話は戻るけれど、バンドを解散して、ぼくは路頭に迷った。迷いに迷った。それまでの一年半が必死で必死で、文字通りそれしか見えてなかったから、それが突然なくなってしまって、思い出したらちょっと笑っちゃうくらい、なんだかいろいろ1人で思いつめてた。もう音楽やめよう、なんて思ったりした。歌うのをやめて、ギタリストになろうかとも思った。先輩のバンドでサポートでギターを弾いたり、当時スリーピースだった未完成に入れてもらおうとしたりした(その少し前までサポートでギターを弾いていたのが今の未完成のギターの海藤くん。その壁はぼくに越えられるはずもなかった)。あとは人に曲を書いたりとか、プロデュースみたいなこともした。楽しかったけど、大変過ぎて音をあげた。つまんなかったから大変だったのか。


どれもうまく行かなくて、なんとなくまた曲を書き出した。ぼんやりと、メンバーもいないバンドをイメージして、村田くんに教わったガレージバンドで打ち込みを始めた。宅録のことは村田くんが全部教えてくれた。

ああ、思い出してきた。なんとなく、ひさしぶりに書いたその曲が、ぼんやりとだけどいい曲な気がして、昼間、ワンコーラスだけ録音したんだ。何度も繰り返し聴いていて、そこにたまたま澤田くんが遊びに来て、聴かせたんだった。
それを聴いて澤田くんは、初めてぼくの作る音楽を褒めてくれた。もう澤田くんは覚えてないかも知れないけど、『俺この曲なら手放しで褒められる』って、『俺が歌うからくれよ』って、言ったんだよ。あんな嬉しかったこと、それまで他になかった。今おもっても、ツーマンできるって決まった時よりも嬉しかったよ。

そのとき聴かせた曲が、いまぼくが歌ってる、『大停電の夜に』って歌。




長々書いたら疲れたな。
その未完成vs新世界と、東京で、東京で作ったバンドで、ツーマンのライブができるなんて、なんだかすごい話だっていうこと、伝わったかな。伝わってたらいいな。ぼくがどんな気持ちで東京に来て、どんな気持ちでバンドを、wonderverを作ったかとか、そういうのが。

でも緊張とか気負いみたいのは、ぜんぜん無いよ。
明日も澤田くんに会えるって、それが楽しみなだけなんだ。