クラブアドベンチャー。
なんでも、始めたばかりは、毎日、とまでゆかなくても、ある程度は手を付けます。
ぼくは狸小路にあるmoleというライブハウスでバイトをしていました。
そのライブハウスはちょうど2年くらい前にmoleという名前に変わったのだけれど、もともとはBridgeってゆう名前で、ぼくはまだ、そのライブハウスの名前がBridgeだったころからmoleにいる。
いろんな事情があってそうなったんだし、今になって『Bridgeのころのがよかったなあ』なんて思ってる人は(ほとんど)いないと思うけれども、moleって名前に変わってから、真っ赤だった壁が真っ黒く塗り替えられてしまって、クラブ営業が始まって、なんてゆうのか、ぼくらは好き勝手ができなくなった。新しく人も増えたりして。というより、それまでがなんでもラフすぎた。バンドマン集まって、ホールのでっかいスクリーンでゲーム大会とかしてたからね。
とにかく広いライブハウスで(地下1Fは控え室、地下2Fがホール)、ライブが終わるとだいたい打ち上げもBridgeでしてたんだけれど、クラブ営業が始まったことによってライブの後はすぐにDJとか、ラッパーのひとたちとか、次のイベントの出演者さんやオーガナイザーが入ってきちゃう。もちろん打ち上げなんてできなくなるし、ライブが終わって即撤収。トリのバンドなんかは、汗だらだらのまま外に放り出されたりもして。でもそれは決められた時間内にライブを終了できないイベンターの責任。タイムテーブル通りに進まずの結果でそうなってたんだろうし、いま思えばなにもおかしいことじゃないのに、自由だったものが制限されることで、ぼくなんかは『なんなの!』ってなってしまって、しばらく『ブリッジにもどれー』って思ってた。
名前が変わってから間もない頃、ぼくは以前やっていた自分のバンドで、初めて企画ライブってゆうのをしたのです。moleで。未完成にサカナクション、シュリスペイロフ、サジカゲンにリモコン。今思えばすごいメンツだったなあ。ぼくらとリモコンは解散しちゃったけれど、いまやみんな第一線でガシガシやってるもんね。
で、そんな大事な企画だったもんで、この日だけはこうやって→、しまってあったBridgeの看板をmoleの看板のうえにはっつけて。こんなポスターも作ったりして。チケットにも場所:Bridgeって書いたりして。mixiで、面識の無いお客さんから『Bridgeはmoleって名前に変わったんですよ?知らないの?』みたいなありがたいメッセージももらっちゃって。写真に映ってるのはBridgeのオーナー。企画のためにすごく力になってくれた。尽力してくれた。ありがとうオオシマさん。いや、今でもぜんぜんお世話になっているけれど。さっき会ったけれど。
そんな悪あがきをしていたぼくも、DJとしてテイトウワさんやkitsuneのリリースパーティに出させてもらったりしてしっかり恩恵を受けまして、ライブもたくさんして、新しい人たちともなれ合えるようになって、子供な反抗心も薄れていったわけです。やっぱりいま思えばBridgeほどの愛着はもっていないけれど、お世話になったなあと思うし、大事な場所。
そんなmoleのみんなに送別会をしてもらったんです、先日。
ぼくはとてもお酒に弱くて普段ぜんぜん飲まないのに、なんだかとても嬉しくてたくさんビールを飲んでしまいました。案の上みんながくれた、ぼくが世界で一番大好きなレバ刺しも、高そうなお肉も、なにもかも、すべてをトイレに吐いてしまった。三回目吐きに行ったときトイレが埋まっていて、隣のコンビニまで吐きにいってそのまま寝てしまい、ひらいくんに起こしに来てもらった。全部で4回吐いて誰よりさきに帰宅ってゆう、最低の感じにしました。でもそれはうれしかったからだからゆるしてください。
同い年にぜんぜん見えない、いまやmoleのメインPA、ひらいくん。
よくぼくに『おまえやめろやー』って笑いながらゆうアニーさん。
ロボットみたいに不器用な唯一の後輩、ふくしくん。
そしてべつにmoleクルーじゃないけど前のバンドのころからお世話になってるPAのゆっきーと、えがおの中川さん。
ツアーなんて回れるよになって、札幌でやるときは、moleでやらねばなあ。
はきつぶした靴で上京するのは、なんだかいやで、新しい靴を買った。
ぷりっとしていてかわいいやつ。
その靴でスピリチュアルの新保さんに挨拶に行った。
そうゆういろいろで、じわじわ、実感がわきはじめている。
あ、そういえば、フィッシュマンズのアルバム6枚がSHM-CDの紙ジャケで再発らしい。
SHM-CDって、どうなのかな。ぼく聴いたこと無いけど、善し悪し関係なく、きっと8月の現状は買っちゃうな。いちばん大好きなアルバムだもの。