2月22日(水)

長くなったけど、結局告知だ。

なんとなく考えていて気付いたのだけれど、僕が音楽を始めてから10年経ってた。
生まれたところではないけれど、僕の育った街、釧路市釧路駅にて歌い出してから、10年も経ったんだ。それからたぶん、(広い意味で使わせてもらえるなら)音楽のことを考えない日はきょうまで一日もなかったと思う。いつも音楽を聴いていたし、歌っていたし、なにかしら考えていた。

弾けないギターを抱えて尾崎豊スピッツを人前で歌い出した14歳のときから、高校をやめて釧路を出る16歳までのだいたい3年間、僕は一週間のうち5日間は釧路駅にいたと思う。学校が終わって家に帰るなりすぐにギターを持って駅に行き、毎日0時くらいまでは家に帰らなかった。
それは、そこに行けば知ってる誰かがいつもいたことで自分の居場所な気がしていたからだと思う。遊びに行く場所が無いから一日ずっとたむろしてるだけの同世代の連中も、人の歌ばっかり歌う何人かの路上仲間も、ホームレスだったり自称ヤクザのおっさんも、みんな顔見知りになって、その中の何人かとは友達にもなった。
今でも大事に思う友人もいれば、どこでなにしてるんだかわからない奴だっている。結婚したと思ったらすぐ離婚したとか、くだらないことして逮捕されちゃったとか、人づてでたまに聞いたりする。
僕はその、中学2年生の14歳くらいから、釧路を出る16歳までの3年間くらいしかない間の思い出を、すごく大切にしてる。

もちろんそのあとにも大切な思い出は山ほどできた。
16歳の僕は親にも半ば勘当されながら釧路を出て、札幌で暮らし始めた。もちろん仕送りなんかないので色んなバイトをしながら生活して、狸小路で歌った。そこで知り合った、例えば澤田くんや村田くん、他にもその人たちがいなければいま東京でバンドなんかやってなかっただろうなって思うくらい大事な人がたくさんいる。東京に来てからだって、すごくわずかだけど大切だと思う人がいるし、ずっと忘れないでいたいと思う出来事もいくつかあった。

でも、釧路駅にいたあの3年間って、そういう大切さとは全然違ってる。人格形成ってゆうか、あそこで僕は出来上がったみたいな、そういう大事さがある。

今でもそうだけど、僕はひどく屈折していたように思う。素行も悪かったし、たくさんの人を傷つけて、自分のことも嫌いだった。思い出したくないくらい恥ずかしいことや人には言えないことをたくさんした。とても大きな大事なものを見つけたと思ったら消えてしまったこともあった。変なプライドや自信ばかりたくさんあって、しかも自分は賢いと思ってた。知らないことを無くしたくて、本をたくさん読んだ。図書館が大好きで、毎週通った。
いま思い出すと全部大事なことに感じる。あいつが、あの子が、あの人が、いまの僕を作ったんだなって思う。ありがとうっていまの僕は思う。今は自分が好きだから。

でも、きょうまで10年間続けてきたことなんて音楽だけだ。
あの頃の僕といまの僕がなにか同じことをしてるなんてすごいことだなと思う。まったくの別人だ。10年なんて経ってしまったら、それはもう別人だ。

自分のことを好きになれても、僕は自分の音楽を心底好きにはずっとなれなかった。弾き語りをしたって、バンドを組んだって、好きになれなかった。好きになりかけたこともあったけど、そうじゃないぞって後退したりもした。
今は違う。

10年かかったけど、自分の音楽が好きだ。だれに良いとか悪いとか言われたって、僕のやりたいのはこれなんだって胸を張れるものを初めて形に出来たって思ってる。完成とか完璧ってのはまだ遠いけど。

だからそれを色んな人に聴いて欲しい、見て欲しいって思う。そのために出来ることがあるならなんでもしなくちゃなって思う。ワンダーバーの他のメンバーにそうやって話したらみんなもやるって言ってくれて、たくさん話した。なにが出来るのかなって、考えた。
今までめんどくさくて言い訳しては逃げてきたものがたくさんあった。今思えば変なプライドだったりもあったんだけど、今度は逃げずに全部やってみる。やって意味がないならもうやらなきゃいい。やってみてないことたくさんある。だからそれらを、一気に行動に移そうと思ってる。

がんばるから、見てて欲しい。

新宿LOFTにて。