3月26日(月)

目のつけどころを変えたりとか、自分ルールを総動員すればなんでもある程度はなんとかやっていけるんだけど、負けを認める勇気も場合によってはやっぱりいるんだよなあと思った。僕にはまだ無い気がする。

逃げたり見えてないふりするのは簡単だし楽だけど、それをしちゃうと自分のいろいろを好きでいられなくなってしまうので、出来ればしないようにしたいと思う。いろんなことを知っていけばそのぶんだけ圧倒的なものもどんどん目につくようになってきて、自分がどこにいるのかがわかるようにもなってくる。それはたまに気持ちいいけど、たまに辛い。

そういう感じでずっとずっと、こわくて見たくないもの、知りたくないことがたくさんあって、後ろを見ないように逃げ続けて来たんだけど、しばらくぶりに意を決して覚悟を決めて振り返って見てみたら、あれ、そこにはもう全然なんにもいなくなってて、ってことはもう逃げなくていいのか!という感じ。拍子抜けっていうか、なんだったんだ今までって感じ。戻ってって見つけたらぶん殴ってやるぞ。

3月5日(月)

どんなに些細な事でも、どんなに大事なことでも、忘れずにいようと気をつけていないことはどんどん忘れていってしまう。考えることや体験することが日々多すぎて、頭の中に入りきらない。
おかげで今まで気付かなかったり、感じたりしたことのなかった気持ちが自分の中に山ほどあるんだなあなんていう、まだまだ発見の毎日です。

なんでもないことで突然泣けてきてしまう体質になった。元気なときはぶっ壊れたように元気なのに、もやつくとぴくりとも動けなくなる。振れ幅が大きすぎて、躁鬱のよう。

幸せとか不幸せは自分の力じゃあどうにもできない、理由の無い不幸は降りかかられたらどうしようもないと思っていたけれど、そんなこともないみたいだ。なんてことも生まれて初めて感じたりしている。やるぞと覚悟を決めたなら、なんでも好転してゆくんだな。

ああ、忘れていってしまうことが多すぎてとてもつらい。ひとつもなくしたくないのに。どれも大事なのに。考えたこと、したこと、起こったこと、全部全部全部全部、ずっと覚えていたいのに。

2月22日(水)

長くなったけど、結局告知だ。

なんとなく考えていて気付いたのだけれど、僕が音楽を始めてから10年経ってた。
生まれたところではないけれど、僕の育った街、釧路市釧路駅にて歌い出してから、10年も経ったんだ。それからたぶん、(広い意味で使わせてもらえるなら)音楽のことを考えない日はきょうまで一日もなかったと思う。いつも音楽を聴いていたし、歌っていたし、なにかしら考えていた。

弾けないギターを抱えて尾崎豊スピッツを人前で歌い出した14歳のときから、高校をやめて釧路を出る16歳までのだいたい3年間、僕は一週間のうち5日間は釧路駅にいたと思う。学校が終わって家に帰るなりすぐにギターを持って駅に行き、毎日0時くらいまでは家に帰らなかった。
それは、そこに行けば知ってる誰かがいつもいたことで自分の居場所な気がしていたからだと思う。遊びに行く場所が無いから一日ずっとたむろしてるだけの同世代の連中も、人の歌ばっかり歌う何人かの路上仲間も、ホームレスだったり自称ヤクザのおっさんも、みんな顔見知りになって、その中の何人かとは友達にもなった。
今でも大事に思う友人もいれば、どこでなにしてるんだかわからない奴だっている。結婚したと思ったらすぐ離婚したとか、くだらないことして逮捕されちゃったとか、人づてでたまに聞いたりする。
僕はその、中学2年生の14歳くらいから、釧路を出る16歳までの3年間くらいしかない間の思い出を、すごく大切にしてる。

もちろんそのあとにも大切な思い出は山ほどできた。
16歳の僕は親にも半ば勘当されながら釧路を出て、札幌で暮らし始めた。もちろん仕送りなんかないので色んなバイトをしながら生活して、狸小路で歌った。そこで知り合った、例えば澤田くんや村田くん、他にもその人たちがいなければいま東京でバンドなんかやってなかっただろうなって思うくらい大事な人がたくさんいる。東京に来てからだって、すごくわずかだけど大切だと思う人がいるし、ずっと忘れないでいたいと思う出来事もいくつかあった。

でも、釧路駅にいたあの3年間って、そういう大切さとは全然違ってる。人格形成ってゆうか、あそこで僕は出来上がったみたいな、そういう大事さがある。

今でもそうだけど、僕はひどく屈折していたように思う。素行も悪かったし、たくさんの人を傷つけて、自分のことも嫌いだった。思い出したくないくらい恥ずかしいことや人には言えないことをたくさんした。とても大きな大事なものを見つけたと思ったら消えてしまったこともあった。変なプライドや自信ばかりたくさんあって、しかも自分は賢いと思ってた。知らないことを無くしたくて、本をたくさん読んだ。図書館が大好きで、毎週通った。
いま思い出すと全部大事なことに感じる。あいつが、あの子が、あの人が、いまの僕を作ったんだなって思う。ありがとうっていまの僕は思う。今は自分が好きだから。

でも、きょうまで10年間続けてきたことなんて音楽だけだ。
あの頃の僕といまの僕がなにか同じことをしてるなんてすごいことだなと思う。まったくの別人だ。10年なんて経ってしまったら、それはもう別人だ。

自分のことを好きになれても、僕は自分の音楽を心底好きにはずっとなれなかった。弾き語りをしたって、バンドを組んだって、好きになれなかった。好きになりかけたこともあったけど、そうじゃないぞって後退したりもした。
今は違う。

10年かかったけど、自分の音楽が好きだ。だれに良いとか悪いとか言われたって、僕のやりたいのはこれなんだって胸を張れるものを初めて形に出来たって思ってる。完成とか完璧ってのはまだ遠いけど。

だからそれを色んな人に聴いて欲しい、見て欲しいって思う。そのために出来ることがあるならなんでもしなくちゃなって思う。ワンダーバーの他のメンバーにそうやって話したらみんなもやるって言ってくれて、たくさん話した。なにが出来るのかなって、考えた。
今までめんどくさくて言い訳しては逃げてきたものがたくさんあった。今思えば変なプライドだったりもあったんだけど、今度は逃げずに全部やってみる。やって意味がないならもうやらなきゃいい。やってみてないことたくさんある。だからそれらを、一気に行動に移そうと思ってる。

がんばるから、見てて欲しい。

新宿LOFTにて。

11月9日(水)

あしたはライブだ。早く歌いたい。

音楽なんてやめてしまいたいって毎日思うけど、歌ってるときはほんと楽しい。辛かったのも苦しかったのも全部報われていく感じがして、だからまだ音楽やっててもいいんだな、なんて思ってしまう。「まだ何も形にできてない」って、なにをしたって一生思い続けるんだろうけど、歌ってるときだけはほんとに気持ちよくて幸せだ。

ラウンドアップも楽しかった。お客さんたくさん来てくれて嬉しかった。未完成と村田くんとセカイイチしか見てないけど、みんなかっこよかった。セカイイチの岩崎さんはしゃべってもかっこよかった。他にもいろんな人としゃべった気がする。あんまり覚えていない。澤田くんと村田くんと一緒にいれるだけで僕幸せだったな。カラオケからは逃げ出したけど。


写真を載せよう。ラウンドアップの打ち上げにてsleepy.abの成ーピー先輩と僕。成山さんは昔から僕のこと褒めてくれるしフェロモンすごいから好き。抱かれたいランキング一位。このあと泥酔して、朝まで気持ちよかった。

いまは他のバンドにあんまり興味持てないんだけど、いまのライブを見たいバンド一位は灰緑さんです。

11月2日(水)

ついにきょうのランニングで、初めて20kmに挑戦した。結果は1時間45分で、そのうえまだ走れる感じだった。自分の可能性が末恐ろしい。

あと、一曲にまるまる一ヶ月近くかけて歌詞を書いた。
それが自分で言っちゃうけどいままで聴いたことないくらいの名曲で、ふさわしい歌詞を書くのが本当に大変だった。何していても歌詞を考えてた。いい歌なので早くみんなに聴いて欲しい。

あしたは下北沢ラウンドアップ。ただライブをする。いつものライブと気持ちはなにも変わらない。すごい数のバンドが出るけど、僕は未完成と村田くんが見れればあとはどうでもいい。

Twitterを見ると様々な種類のストレスを感じるので見ないようにしてるけどふとたまに見てしまう。そんなことばかりしてる人たちに興味なんか無いのに。

最近の忙しさと心の激しい浮き沈みに体がついて来ない。
病気とかってことじゃなく、なんだか見つかるのは異常ばかりで、あと少しあと少しって毎日なにかをごまかしながら歌っている感じがする。
気持ちは全然弱気じゃないだけに、なんとかしなくちゃと思う。

ああ、YouTubeに新しいライブ動画ふたつ上げてもらったから、みんな見てください。名曲二曲。リハーサル無しでもあんなライブできるんだなと、自信になった映像だった。ちほさんいつもありがとう。


パラダイスガラージの豊田さんみたいなブログになったな。

9月1日(金)

5月に倒れてからやめていたランニングを最近再開した。倒れたとか言ってなかったんだっけ。札幌行きたかったなあ。会いたい人たくさんいたのに。企画者様に迷惑かけて飛行機代も投げて。最低だ。今年最悪の思い出だ。
ランニングの話に戻る。それまでは1時間で9km走れていたのに、再開初日は45分で6km、筋肉痛を押して走った二日目は50分で7kmしか走れなかった。最後には足が止まってしまった。昨日はライブで一日開けて、今日はなんだか体も軽くて、停止することなくスムーズに足が進んで1時間で8.2km、時速8.2kmだった。1kmごとの区間タイムで5.2分を出したところもあった。ラストスパートだけど。
バンドマンのブログ見に来た人にランニングの話するのも違うかな。でも気持ちいいんだ。走るの。

昨日のライブは序盤でいきなり声が変になった。楽屋でさんざん歌えていて、今日は声出そうだなあなんて話していたのに。たまにそうなる。痛くなって、急に声が全然出なくなる。またかって思った。楽屋のときとは違う、変な歌い方をしたんだろうな、と思った。焦りとかより、いらだってしょうがなかった。歌詞も飛んで、さんざんだった。二曲目くらいが終わって後ろ向いて、青山に歌えないからもうやめようって言おうと思った。顔見たら言えなかった。

今日は病院に行った。久しぶりで先生に怒られた。明日からは一言もしゃべらないで休ませてくださいって言われて、明日もライブなんですって言ったら笑ってくれた。じゃああさってからね、と言っていた。ちなみに女医だ。
一日中、鬱々と不安な気持ちだったけど、ランニングをしたら嘘みたいに気持ちがとても軽くなった。明日は声が出るだろうし、新曲歌詞も全部暗記したし、うまくいかないはずがないとか思えてしまった。そのまま新曲の打ち込みを始めて、ブログまで書いている。

あ、あと、スタッフの柳田が自分のバンドを始めて、スタッフをやめた。見てないと思うけど、今までありがとう。1年半近く、ずっとWONDERVERを支えてくれて本当にありがとう。お前にみんな、すごく助けられていたよ。精神的に。奈津子は肉体的に。さようなら。あ、遠征の時は運転しろよ。

なんだか暗い感じの日記になったので、明るい話をしよう。
ここ最近で一番面白かったことは、ホフディランと対バンするかも知れないことかなあ。確率10%も無いと思うけど。

8月24日(木)

三ヶ月ぶりだ。
そろそろ書こうって二日に一度くらい思ってた。

いろんな人に訊かれるけど、レコーディングはまだ始まってもいない。曲を作り直す作業をずーーーっとしている。
少し前から、初めてコードとか編曲の勉強をちゃんとしている。すごく面白くて、なんてためになるんだろうって感動しながらしてる。勉強なんてしなくたってたくさん音楽聴いてればいい曲は書けるよって思ってたし、なんなら今でもそう思ってるけれど、簡単に言うと『なんとなく』が減っていくのがうれしい。それだけ。深海魚とか、宇宙みたいな感じ。

あとそう言えば、ずっとサポートでベースを弾いてくれていた後鳥さんを正式メンバーってやつにした。僕一人で長いこといろいろ考えてたんだけど、もっとラフでいいじゃないかと思い直して、お願いした。お人好しでなんでもしてくれるし、僕と奈津子がケンカになると止めてくれるし。肝心のベースに関しては未だにうまいってことしかよくわかんないんだけど、やっぱ違うって思ったらそのときそやって言えばいいだけの話だし、あの人きっとうまいことやる気がするし。

早くちゃんとしたCDを作りたい。外で音楽聴くときそれしか聴かなくなるくらい、自分で好きになれるのを作りたい。そのためにがんばって作った、新・戦闘機と新・大人になりたいを早くだれかに聴かせたいな。次のライブでやろう。

そのCDがまだできないのでいまはクインシー・ジョーンズとかドナルド・フェイゲンとかを聴いている。

寝る時間が惜しいけど目が開かなくなってきたから寝る。十年後に後悔しない程度に寝る。


写真は敏腕スタッフの柳田さん。