6月7日(木)

企画が終わった。
スムルースとLOVE LOVE LOVE、大先輩二つを迎えての企画は、170人のお客さんとninohiraの二人のおかげで大成功だった。僕ら弦切れたりしたけど、それでもみんなライブ良かったって言ってくれたから良かったんだろう。先輩の手加減無しのライブは勉強にもなったし、初めて僕らを見てくれた人もたくさんいたし、ほんとやってよかった。ただ、無料配布音源のリアクションがほとんど無い。もっとみんななんかゆってくれよ。大変だったんだぞ。優しくして。
なんにせよ、来てくれたみんな、本当にありがとう。あなたたちのおかげです。


そして第二回、8/19にもう決まってます。
ninohiraの本気パワーで、今回に負けず劣らずのちょっと引いちゃうくらいの大先輩を招致することに成功しました。みんな腰抜かしちゃうと思うよ。てゆうかワンダーバーそんなのと対バンして大丈夫?ってなるよ。うそ。なんないで。がんばりますから。そして来て。またクラブキューに来て。


なんのリアクションも無いディスクレビュー書こ。

5月30日(水)

企画が近付いてきた。

今年に入ってから、今まで面倒がってやらなかったことややってみたかったこと、後悔しないようにと思って全部やってみている。毎週みんなでメルマガを書くようなちっさいことから、フライヤー配りにライブハウスをまわったり、いろんなとこで路上したり、音源を作ったり。企画もそのひとつ。

今年もあと半年だけれど、精一杯やろうと思ってる。やり残すことのないように。いつか思い返したとき、後悔のないように。


僕がこれまでの人生すべて懸けて作ったバンド、WONDERVERの、二年分の集大成、見にきてください。
お願いします。


http://wonderver.com

POSTAL SERVICE/Give Up 

Give Up

Give Up


バンドマンなら一人残らずみんな大好きバンドのひとつ、四人組のインディーギターロックバンドDeath Cab For Cutie。インディーってゆっても何年か前にメジャーで出してビルボードで一位を獲ったりした。

初めて聴く人はまずみんな楽器のアンサンブルにびっくりする。各フレーズのキャッチーさ、緩急の付け方、絶妙な雰囲気の演出、録音やミックスの域まで、それはもうすげーおしゃれによく出来ている。やたらにアレンジ凝ったポストロックやってる人なんかは、このバンドを崇めていると決めつけていい。まず間違いない。
そしてなによりボーカルのベン・ギバートのソフトでアンニュイ過剰な優しい声とメロにやられてしまう。またそれがインディーギターロックバンドなら100点って感じの声で、たまらんのです。

そのベン・ギバートが&recordsのエレクトロユニットDNTELとタッグを組んだのがこのPOSTAL SERVICE。

当時の僕は、同期ものを扱えるバンドを作りたかったかなにかで、生楽器が入っておらずシンセメインの音作りをする音楽を意識してたくさん聴いていた。わかりやすいテクノやハウスから入ったはずが気付いたらWarpっぽいハードなブレイクコアドラムンベースにぶち当たって、そこから引き返してバグルスペット・ショップ・ボーイズデペッシュ・モード辺りを行ったり来たり、路頭に迷ってしまっていた。

Sub Popにとってニルヴァーナ以来のプラチナディスクになったこのアルバムは、当然の如く日本盤が発売されて各所で大々的に展開されてた。あまり売れてる感じは無かったけど、どの媒体もとにかくべた褒めしてた。札幌タワレコにて貼ってあったポップが誇大広告じゃなかった唯一の例。
それも『エレポップの伝説的名盤!』。

プラスチック・オペレーターのデビュー盤やマーキュリーレブのうさぎのジャケットのやつなんかと一緒に買って、でもほとんどこれしか聴かなかったことをよく覚えてる。

トラックのセンスが当時のエレクトロニカ界隈のアーティストの中ではズバ抜けて優れていて、ぎりっぎりの引き算の結果みたいな音数の少さなのに、なのにならずだからこそ、一音一音とにかく聴いていて気持ちよくて、どの曲もイントロで脳汁ドバドバオルガズム迎えまくり、これすげーいい曲だよ絶対、なのにさらにベン・ギバートの歌う美メロが来て、キター!うわー、このままサビまでいったらどうなっちゃうの、こわいよーってなった。ていうか今でもなる。PVも洗練されまくってて引いたな。ここまでおしゃれだと逆に人に薦めづらいわって思った。

ポスタルは一枚で終わってしまったけれど、きっとこれより完成度の高いアルバムなんてもう作れないだろうから、またやってなんて言わない。
だれにでも薦められるアルバムだと思いました。
思ってました。

The Cardigans/Long Gone Before Daylight

LONG GONE BEFORE DAYLIGHT

LONG GONE BEFORE DAYLIGHT

僕は18歳でバンドを始めるまでキンクスもドアーズも知らなかった。スマパンレッチリも知らなかった。でも吉田拓郎ルーマニアモンテビデオは知っていた、そんな相澤少年でも聴いていた洋楽がカーディガンズ

ディカプリオとクレア・デーンズが出てた、映画ロミオとジュリエットの挿入歌としてlove foolが使われてて、僕の母親がそのCDを持っていた。今にして思うとあれは3枚目のファースト・バンド・オン・ザ・ムーンだ。
カーディガンズは3枚目まで、と言われることが多い。なぜなら4枚目が、急になにがあったのか心配になるくらいダークなアルバムだったから。案の定全く売れず、しかも直後長い長い活動休止期間へ突入してしまうから。活動再開してやっとこのアルバム、『Long Gone Before Daylight』を出すわけです。

最初の三枚と比べるとやっぱり全然暗い。でもさみしさとかせつなさのなかに微かに希望が見えるというか、広い牧場の夜明け前みたいな雰囲気でアルバム一枚通しての空気をしっかりまとめている。落ち着くので、僕は寝る前とかにたくさん聴いた。

バンドは次のアルバムからまたキャッチーな曲を作るようになっていくから、こういうアルバムも必要だったんだなあって、今になって思う。

マイベスト考案委員会。

『人生のマイベストアルバム10枚』って、僕の場合なんだろうかな。なんて、真剣に考えてみた。寝込んでて暇なので。

結構いろいろ聴いてるつもりになってしまっているからこその、もっと聴いている人いるしなあっていう恥ずかしさ。音楽だけでなく、映画とか漫画とかにしてもそれがずっとあったが故の喋りたがらなさだったのだけれど、最近いろんな人に『もっと趣味趣向を出していった方がいい』と言って頂けるので、ならば逃げずに一度ガチ選出してみようと。自分でも知りたいんだほんとはね。

でも、好きなアルバムとよく聴いたアルバム、どっち選ぶのかでは、結果は結構変わってくる。はたまた、今の自分を作ったとか、衝撃を受けたとなるとそれこそ全く別の10枚になっちゃう。それでどうしようか考えた結果、『好きでよく聴いて、なおかつ、今の自分の血肉となっているアルバム』を10枚あげてみることにした。

世界から見たらこんなちっさい日本だけれど、邦楽に触れる機会は幼少期から非常に多くありましたゆえ、洋邦別々に10枚ずつ選んだ。洋楽邦楽って音楽分けるのほんとは嫌なんだけど、それが一番楽なんだ。許してくれ、未来のおれ。


それではまず洋楽。もう歌にしてるのでYo La TengoとFlaming LipsとスミスとXTCは除外したよ。順不同で一個づつ書いてくね。

4月28日(土)

きょうは新宿LOFTでライブでした。
見てくれたみなさまありがとう。僕は体調が悪くて他の人は見れなかったけれど、Anyの三人としゃべれたからよかった。

あの、最近、会う度に病気してるねっていろんな人にゆわれるので、現状を詳しく書いて整理しておこうと思う。よく読んで理解を深めてください。

まず僕は3月の頭、扁桃炎っていう、とんでもない病気になった。40度近い熱が何日も出て、扁桃腺が腫れ上がってしまい激痛で唾も飲み込めず、おまけに薬の副作用か何かで口の中には口内炎が無数に出来上がり、舌も膨れ上がって歯茎からは血がだらだら出ているという、恐ろしい病気だった。人生最悪のクラスの病気だった。死ぬんじゃないかって本当に思った。
熱はしばらく出続け、二週間くらいは発熱したまま生活していた(微熱くらいなら歌えるし、動けるのだなと思った)。その熱が下がって扁桃腺もやっと腫れが引き、長い戦いがついに終わった、と、思った直後のことだった。
また発熱した。
でも病院に行くと次は普通の風邪だった。インフルエンザの検査もしたけど、あの、細長ーい綿棒を鼻のすげー奥に突っ込むやつはほんと最悪だった。僕は泣きながらむせてなんかもう笑っちゃってるのに、処置をやめない看護師さん。なぜ無表情。いっそ笑ってくれ。
幸い、扁桃炎のときはしばらくライブが無い期間だったので問題なかったんだけれど、このときは一週間でライブが4本くらい入ってたときで、心身ともに大変な思いをした。全てのライブ、歌えるのかな声出るのかなと、毎回ひやひやで臨んだ。気が気でなかった。
しかしそれもなんとか一週間くらいで治った。直後にすぐさま花粉症による喉の炎症なんかも襲って来たりしたけど、ひと月まるまる熱出したり寝込んだりしてた僕にもうそんなものは効かなかった。もうノーダメージだった。僕は強くなった。風邪は一度ひいたら免疫が出来てしばらくはひかないとよく言うし、これでもう大丈夫、と、僕の病との戦いは終着したかに見えた。
その風邪が治って10日ほどが経った、きょう、28日。
朝起きたら発熱していた。
昨日から咳が出始めて、なんか変だなあ、とはうすうす思っていた。でもそれはその前の日のリハーサルとユーストリームで酷使した声がすげー枯れてるだけだと、そう思い込んでいた。いや、いま思えば、関節、痛かった。鼻水も出てたし、だるかったよ。気付かないふりしてただけだ。そんなにずっと病気だなんてありえない、またこんなすぐ風邪なんてひかないよ、ひくはずないよ、そう思い込んでただけだった。
よりによってライブの日に。なぜ昨日熱を出さなかった。しかも声が全く出ない。出そうとするとむせてしまう。鼻が通ってない。痰がすごい。というかなぜまた。免疫ってなんだったんだ。なぜおればかりこんなに病気になるのだ。いい加減にしてくれ。許してくれ。
僕は、これ、きょうのライブはキャンセルだな、と思った。今まで発熱してでも歌ったことは何度かあったけど、今回はもろに喉に来ちゃってるもんこれじゃ無理だよ〜ん、って思った。
とりあえずメンバーに連絡する。ひとまず病院に行って、薬を飲んで、夜まで寝てみることにした。直前まで待ってダメならドタキャンだ、と。僕抜きの三人でライブやることを冗談半分で提案したところ、『それはみんなで相談した上で無理だ』とマジレスされた。
で、薬すげー飲んで寝たらだいぶよくなって、なんとか新宿まで行って歌って来た。ライブは、しょっぱな一曲目のサビで後鳥が理解不能なミスしてたことだけしっかり思い出せて腹立つんだけど、あとはよく思い出せない。でもなんとかなったと思う。しっかり気合入れてやれたのは見に来てくれた人のおかげだ。あと薬とか。

という近況です。
この風邪治ってまた次なんかなったら、もう無菌室で暮らすよ。それか釧路帰る。